ナレッジの共有にもっと焦りたい
ボクが昨年7月に入社したときに見た光景で、ナレッジがストックされる色々な試みがされていた。minneサービスを全員で成長させるべく、他部門から選りすぐりのメンバーが集まり大きなプロジェクトと化して動いていた。チームやサービスの垣根を越えて、こういう動きをすることは、めちゃくちゃいいと感じる。社員数が増えてくると部門や階層などで管理しやすくする反面、組織がイノベーション起こりにくい環境が出来上がることが、結構あるからや。
後から聞くと、急なプロジェクト化で多方面からメンバーが集まったことによる“今までの共有”や“やること”の修正に大変な部分もあったようで。メリットも大いにあり、サービス成長のための大きな改善や方向の修正ができた部分や、元部署での色んな経験を持ち込みしてもらえたことがあげられるんやて。
こういう中で最も大きいことは、各部門でのナレッジがそこに集結し、メンバー同士でイノベーションが起こり、組織としても個人としても大きな気づきが個人、チーム、会社にあったはず。プロジェクトが解散した後も、戻った部門でminneのプロジェクトで得たナレッジの共有が継続的になされるはずや。ナレッジの共有は「言語化」にあり、「暗黙知」を出していない限りストックされていかない。これに対しては、ツールでも戦略でも無い!そうなる文化をつくることが必要なんや。
まだまだ、自分の部門も周囲の部門でもナレッジの共有には課題がある。
ナレッジの共有は、システム等の導入で解決できるものではなく、“意識”、“言語化”、“メンバー全員の心がけ”をポイントとして、管理部門も事業部門もどんどんやって、どんどん言語化して、どんどん…どんどん…その先で文化として根付くようになるまで。
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他人のうわさや伝言で知り得るのではなく、一次情報を自らとりにいく
いや〜更新しなくて失礼。ブログの存在を忘れ、グルメ方面に走ったなぁ(笑)まったく頭から突き離していたんでしょう。さてさて、特に入社して半年間はうまく組織に「くすぶる」ことができたで。それは遠慮やなく、正直なところボクが社内のチーム構成や各成長度合いがわからんかったことと、ましてやサービスの状況などが以前と違ってた。そこで、東京も神戸も福岡もこれから目に見えない課題解決をやるべく自ら出張スケジュール組んで、一次情報を取りにいったんや。自分自身、どんな会社でもそうしてきた。外からあーだこーだと言うよりも、現場に直接確認した方が正確だし、変な整理された情報よりもしっかりとした生の声を拾うことができる。岩清水のようにわき出てくるで。まずは、そこから「逃げない」や!
ー半年で理解できたことー
・古くから貢献する社員と比較的新しい社員との考えの相違がある
・組織やサービスの未来予想に向けて考えた時に、現場のチームとの折り合いが必要
・そのチーム内で以前解決したことが、社員層が変わり再問題定義される事象
・プロダクトを成長させる上で、いままでの考えから脱却するための研修や施策が必要
・他社の改革がどんどん進む中で、隣の芝生は青く見える現象
などなど
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17年卒のペパボ内定者12名決定
12月に12番目の内定者が決定し、これで17年卒の新卒採用が終了した!デザイナーの採用にかなり長期化し、ここでやっと終了を迎えたみたい。ボクが入社したら、すでに11名の内定者が決まっててん。
ボクの所属する人材開発部門は、4月の入社式から新卒メンバーを受入れ、グループ研修や年内の社内研修を進めないといけないんやけど、なかなか年末の仕事納めに悪戦苦闘。それはさておき、来年、新卒を会社に迎えることについて、最高のおもてなしではなく「精一杯の成長ができる土壌」を用意できるようにしたいんや。いままでそうできてへんかったんじゃなく、よりその意識でやる!やる!やる!が必要だし、気運を高めていくんや。来年早々にやりぬく。
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40歳を超えた時から惑うことが多くなる
孔子が言うた「〜三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る…」って、ボクは40歳超えてから惑ってんぞ。大丈夫かい?でも、大丈夫。年を重ねると自分を理解した気になって、経験上や通用するもので生きていくことに慣れてくる。そういう自分をまだ受け入れる気になれない。だって、まだまだ自分を裏切っていきたいじゃん。もう一度0にして、制限せずにチャレンジすることで、もっと惑って自分に刺激と衝撃を与える環境を自ら勝ち取る。男とはそういうもんや。男とは何ぞや?
また、リスクを避けた考えで凝り固まってしまうことこそ、全身の老化の引き金になる“感情老化”という現象が起こる。体力の衰えよりも感情の老化が早くくる。加齢によって前頭葉の萎縮は早い人の場合で40代からはじまる。「やる気」などの意欲や創造性が老化することは、もっともボクが嫌うことです。バロメーターは意欲です!
だから、自分がやりたいこともまだ探しながら刺激的な毎日を送りたいし、労務や人事に極端に拘らずに仕事をしたり、お金の使い方も株式投資やふるさと納税生活など“生きた”お金の使い方を…これは関係ないか?とにかく、思考停止にならないようにしていきます。プロミス!
そして、ボクは医療の世界に飛び込んだ
ボクは、自分の意志でGMOぺパボを飛び出した。ちょうど山中教授がiPS細胞でノーベル賞を受賞され、これからバイオベンチャーの分野が注目されると勝手に思い、理化学研究所発のバイオベンチャーに属すことで医療の世界に飛び込んださぁ。入ったさぁ。いずれ医療の世界は見てみたいと思ってたし、この選択は、非常に正解だった!
人事総務部マネージャーで入社したが、仕事の範囲はとてつもなく広く、医療分野に対しては自分の経験や考えだけでは前に進むのに何重の苦労もした。その苦悩の心地よさときたら、仕事に熱が入っていたこともあり毎日が楽しく、iPS細胞での医療の中心にわれわれがあると思ってワクワクすることの連続でした。「辛い」なんて13回ぐらいしか言わなかった。
医療の世界観や研究者の視点、理研や大学との共同研究など、会話したこともない医学界では有名な先生方と医薬品製造を目的に新鮮な毎日がそこにあった。
また、バイオベンチャーとして上場後の会社経営に関われたことで、その資金や周囲の期待から新しいチャレンジグが増大していったことは、とても大きな経験となった。
ー関わった主な仕事ー
・京都大学iPS細胞研究所から提供を受けたiPSからRPE細胞をつくる研究で、理研の高橋先生と共同研究を進め、製造に結び付けるためのチームビルディング支援
・研究者や医薬品の開発者などの賃金体系の設計と採用面接
・製薬会社との合弁会社設立に伴う管理全般とチームビルディング支援
・大阪大学と細胞製造についての共同研究契約に伴う研究者の確保
など
ー所属した会社ー
なぜ、ペパボに戻ってきたのか?
はっきし言って、戻ったのではない!チャレンジにしに来たんや。ペパボは社員数も300名を超え、各サービスのほとんどは成熟期を迎え、現在はminneサービスに大きな投資をしチャレンジングな動きを見せている。
あの時の自分の感覚ではなく、いまの自分でこの会社にチャレンジしに来た。それは単純なもので、会社のスタッフに口説かれた部分もあるが、大きくはどちらが仕事として「難しい」のかを考えて選んだ。
これからジンジンを通して、もっとも汚れた人事をやって、他にない前途多難なボクの道をここに綴っていきたいと思いましたでございます。これからのご清聴かたじけない!
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